江戸初期から残る建築物にロマンをはせる!名古屋城の歩き方まとめ

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江戸時代、尾張徳川家の居城だった名古屋城。明治24年のM9.0という未曽有の大地震(濃尾地震)に耐え、昭和の第二次大戦の空襲の戦火に建物は焼かれながらも再建し日本3大名城として名高いこの城は、なぜ地震や戦争で崩壊しなかったのか?江戸初期当時のまま残されている重要な建築物に焦点を当て、近年戦争で焼失し再建された本丸御殿や金のシャチホコが話題の名古屋城のコアな歩き方をまとめてみました。

名古屋城、その歴史を知る

名古屋城の歴史は古く、戦国時代にさかのぼります。名古屋を含む尾張国の東半分は今川氏の領土で、その支配下に置かれて、今川氏はその支配地域の最前線である現在の二の丸当たりに那古野城を築きました。織田信長の父、信秀が1532年に城主の今川氏豊を追放して那古野城を奪い、居城としたのです。信秀は南方の古渡にも城を造り名古屋での勢力を強めました。父のあとを継いだ信長は清州城に拠点を移し、天下統一に向けて動き出します。そして信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移していく中で、役割の薄れた那古野城は1582年頃廃城となってしまったと伝えられています。

時は流れて1600年の関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は大阪城に残る豊臣氏との武力衝突に備えて各地の城の整備を進めました。信長の残した清州城には度々水害に襲われるなど難点があり、地形や災害の観点から小牧、古渡、名古屋の3候補が上がり、中から名古屋が選ばれ再度整備されました。この時すでに大阪城を取り囲むように各地の城が整備され、西側の諸大名たちが名古屋城の整備、再建築に駆りだされ、築城と同時期に木曽川の治水工事も行われて名古屋城が完成する頃には城下町も含め軍事面、文化、交易の都市として栄えるのに十分な機能を持った街に名古屋は発展していました。

名古屋城完成後、家康は自分の息子を(第9子徳川義直)名古屋城の城主とします。これが世に言う「徳川御三家」の筆頭尾張徳川家の始まりです。

石垣の落書きは400年前のもの!

名古屋城の石垣にはところどころに丸に三角や扇子、軍配といったユーモラスな落書きが掘ってあります。これを「刻文」といい、築城工事を分担した各地の大名と家臣の印で、苦労して運んだ石と他の大名が運んだ石との区別をつけ、無用なトラブルが起こらないようにした配慮の跡です。

徳川家康は関ヶ原で敗戦した西側の諸大名に名古屋城の整備、再建を任せます。中でも天守閣の石垣建設はは熊本城建設の実績を買われ加藤清正があたりました。清正はわずか1年で天守石垣を完成させてしまいます。

天守閣の入口で見ることのできる「清正石」は加藤清正が音頭をとり、熱田から引いて運んだと逸話が残っています。(諸説あり)この時石を紅白の布で包み、引いたのだと話がありますが、実は大阪城の天守閣石垣より大きな石を運ぶ予定をしていたのですが、海路で運んだ石が大阪城のそれより小さく、家康の目をごまかすために布で包んだという話があります。

先にも記載しましたが、石垣の石には色々な落書きが掘ってあります。そんな中でも家康や築城工事に不満を持つ一部の大名が嫌味を込めて落書きされた石垣もあります。もう400年以上前の建築物なのですが、その落書きが当時のまま残されていて、当時の面影を思い起こすことができるなんて、素敵なことです!

全国どこを探してもこのようなユーモラスな石垣は珍しいですね。最近再建された本丸御殿やシャチホコも当然見どころなのですが、江戸初期のままの石垣を楽しむのも見どころのひとつです。

再建された本丸御殿は豪華絢爛!

 

名古屋城の天守閣南側には本丸御殿がありました。かつての建物は近代城郭御殿の最高傑作とされ、京都の二条城御殿と並ぶ国宝で、武家風書院造の双璧と言われていました。1930年に国宝に指定されましたが、1945年、大戦中の空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまい、戦後の復興にともない天守閣だけは再建されました。

本丸御殿は空襲前の写真や江戸時代の文献、実測図が存在していて、在りし日の姿を忠実に再現できる事が可能だったのです。名古屋市は一度は断念した本丸御殿再建に2009年から着手します。現在では入り口に当たる玄関と所見の場であった表書院などの公開を開始しています。再建工事は続いていて、2016年時点で対面所が完成予定、2018年には本丸御殿のすべての建物が再建されます。

正門から?東門から?入場はどちらからでも○

 

名古屋城を探索するには公共交通機関である地下鉄が便利。自家用車用の駐車場もあるのですが、台数が限られてるのであまりオススメできません。また正門の駐車場は観光バスの駐車場となっていて、土日は観光客でいっぱいになります。もし名古屋城を訪れるのなら、名古屋市営地下鉄の「市役所駅」が近くて便利です。東側(地下鉄駅側)から探索すると二の丸が最初に目に入ります。ここではイベントや屋台が並び、「おもてなし武将隊」が公演してたりします。

まとめ

名古屋城には常に「おもてなし武将隊」がスタンバイしています。ほぼ毎日ショーや撮影会を行っていて、場内を一緒に歩くこともできます。まさにタイムスリップした感覚になります。名古屋城内では多くの重要文化財が展示してあり天守閣からみる景色はまさに武将になった気分で、名古屋市内が見下ろせるようになっています。バリアフリー設計の屋内なので小さなお子様連れのご家族も楽しめます。また、毎週末はイベントを行ってますから、それ目当てで楽しむのもいいですね。この週末にご家族で出かけてみてはいかがでしょう?