愛知県北部の犬山市。ここに日本国内でも5つしかない国宝の史跡があるのをご存知ですか?「犬山城」は日本の国宝5城乃内の一つで、お城そのものの建築年代が日本国内で現存するお城の中で最も古いお城だと言われています。
今回は「大人の見学」と題して、この犬山城をじっくりと紹介します。
史跡として最も古い犬山城が現代まで残り続けた理由
犬山城を管理している白帝文庫さんの資料によると、犬山城が建築されたのは1537年(天文6年)とされています。時は戦国時代、室町幕府末期の建築物ですね。
公式の記録では築城したのは尾張国を治めていた織田家の織田信康(織田信長の叔父にあたります)が築城したとされています。
戦国時代真っ只中のお城だったため、現在の犬山城とは形状が違っていたのではないか?とも言われています。文献を調べている白帝文庫さんがわかっている事をまとめると…
- 築城当初は地下2階、地上2階建てだった。
- 城内の部屋の間取りも違う間取りだった。
- 美濃を攻める際の要塞の役割もあった。
とあります。確かに犬山市は木曽川を挟んだ北側には岐阜県で、戦国時代だったら美濃国。斎藤道三という強烈な戦国武将がいた国から尾張を守るための要所だったとしてもおかしくないですね。
犬山城は歴史上の3英傑が重要視した拠点だった?
犬山城は築城こそ織田家だったのですが、時代とともに城主が目まぐるしく変わったお城として知られています。築城の祖は織田信長の叔父、信康。犬山にあった木之下城より城郭を今の場所に移した(移築した)ことが始まりだと言われています。
信康は尾張の大名だった織田信長が美濃国を攻めた際、戦死。信康亡き後はその子供の信清が2代目城主となりますが、織田信長に反抗的だったため攻め立てられてしまい、信長の乳母兄弟である池田恒興に変わられてしまいます。
信長が本能寺の変で倒れると犬山城の城主は織田信長の次男、信雄に変わります。美濃国と尾張国の境目であることから信長亡き後に起こった「小牧・長久手の戦い」では犬山城は再び池田恒興に責められてしまいます。
この小牧長久手の戦いのときには羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が犬山城に入城し、小牧山城に陣を構えた徳川家康とにらみ合いが続いたと記録にあります。
小牧長久手の戦い後、徳川家と羽柴家の間で和睦が成立すると、犬山城は再び織田信雄に返還され、織田家が犬山を統治することとなります。
と、このように戦国時代真っ只中の犬山城は城主が目まぐるしく変わり、徳川家康が関ヶ原で天下を獲ってから17年後の1617年に尾張徳川家の付家老だった成瀬正成が徳川家から犬山の地を拝領されます。
江戸時代初期から末期まで成瀬家が代々犬山を治め、明治のはじめころには少しの期間だけ犬山藩と名を変えて、水運業で材木の運搬で財を成したと記録にありました。木曽桧を伊勢や名古屋に運び、売るという商人の町として犬山は栄えたのです。
すなわち教科書や時代劇でよく主人公になる3英傑と呼ばれた戦国武将が、この犬山城を巡って権力闘争を繰り広げたのでしょうね。また、水運の要所だったこともあり、江戸時代以降は美濃や各地に出張所を設けていたなんて記録もあります。なんだかとてもロマンのある場所のお城なんですね。
犬山城の見どころはここだ!
犬山城の成り立ちや歴史は前記したとおりです。現在の犬山城は江戸時代が始まりしばらく経ってから成瀬家によって増改築され、現在の地下2階、地上4階建てのお城(三層四階地下二階)になったと言われています。つまり、3階、4階は増築後の建物ということなのです。
入城したら必ず見てほしい「梁」
「何を証拠に!」と言われそうですが、犬山城に入場するとすぐの所にある梁、この梁が歴史を物語る証拠で、本来なら綺麗にかんながけされた梁があるのですが、犬山城の地下入り口の梁はかんながけされていないのです。
これは築城当時に大工道具の「かんな」がなかった事の証拠で、地上階の梁は綺麗にかんながけされている(なんと触れるのです!)ことから、歴史の証明にもなっているのです。大工道具一つを見ても犬山城が増築されたお城であること、築城技術や、増改築の技術の高さをうかがい知ることができるんですね。
武者走りの間は思わず座ってみたくなる?
「景色のいい最上階へ早く行きたい」と早る気持ちを抑えて、地下1階の梁を触って感触を確かめたら地上1階と2階をじっくりと見て回って見てください。そこには犬山城の歴史や当時使われていた武具の展示などがあります。
地上1階部分は上段の間、石落としの間など、お城の防衛設備や外からはうかがい知ることのできない仕掛けを楽しみながら見ることができます。
特に上段の間に続く廊下は江戸時代以降に改築された間取りと言われてはいますが、当時の権力者が座った間。立ち入り禁止なので「殿様気分」とはいきませんが、その前の回廊には自由に座れるので家臣気分で座ってみるのもいいですね。
2階に登るとそこには広い空間が広がっています。長い槍や弓などの武具が置かれた場所との記録があり、天井が高く作られている箇所もあります。
人がまばらな日はこの武者走りの間に座って写真を納めてみるのも、なんだか歴史を感じることができて面白いですよ。
最上階から見た景色は…?
犬山城の見どころは最上階からの見晴らしが最も有名です。晴れて雲のない日は遠く名古屋駅のビル群や小牧山城、岐阜方面が望めます。
最上階の手すりや床は江戸時代に改築された形状のまま。現代人の身長に合わせて作ってあるわけではないので低く感じます。また、明治24年に発生した「濃尾地震」で、天守が半壊した記録も残っています。が、ここまで綺麗に復旧しているのは犬山市民が犬山城をシンボリックな建物として捉えていたことも重要で、成瀬家個人の所有建築物だったことも復興を後押ししたのでしょうね。
最上階からは東西南北のパノラマな情景が広がります。濃尾平野の北端に近い位置に建っているため、山城とはまた違った景色が見れるのも犬山城の特徴です。北を望めば中山道、南を望むと濃尾平野が広がっていて、現代の建物が建っているとはいえ、江戸時代からこの景色を望んでいたんだと思うとなんだか感慨深いですよね。
地元の市民に愛され続けて400年余!犬山祭は圧巻だ!
犬山城とは関係なのですが、犬山市では毎年4月の第一土曜、日曜に「犬山祭」が開催されます。400年あまり(正確には380年ほど)続いている祭りで、祭り自体は国の重要無形民俗文化財に指定されていて、2016年には「山鉾・屋台行事」として津島の天王祭と一緒にユネスコの無形文化遺産に登録されています。
関連記事→「犬山祭はこう楽しむ!3世紀以上続く伝統の祭りは見どころ沢山!」
犬山城の入場料はお得?周りの資料館も覗いてみよう!
犬山城の周りには史跡博物館があります。犬山城下町の「犬山市文化史料館」がそれで、江戸時代の犬山城の城下町がミニチュアスケールで再現されています。
史料館の運営、管理は白帝文庫という犬山城を管理する団体で、史料館の中には解読の終わった古文書や江戸時代当時の街の様子、関ヶ原の合戦を描いた屏風(写し)が展示されています。
入館料は大人一人100円。犬山城の入館料とあわせるとお得な値段設定になっているので、犬山城に登庁したのちによってみてはいかがでしょう?
名古屋から好アクセス!私鉄の旅も楽しんじゃおう
犬山城のある犬山市まで名古屋からだと名鉄犬山線に乗り、特急で約25分ほど。名古屋に泊まった次の日は犬山観光なんて事もできてしまうほどの好アクセスの場所にあります。
犬山城を最大限楽しむのであれば、犬山駅で降りないで「犬山口」で下車して、城下町だった町並みを楽しみながら犬山城へ向かうのも面白い。また、「犬山遊園」から下車して木曽川の川沿いを散策してから犬山城に向かうのも古い町並みと昭和のビルが入り混じった雰囲気を楽しめます。「犬山駅」から下車するのであれば、王道の城下町を散策しながら犬山城へ向かいたい所。途中話題のだんご屋やカフェに寄ったり、道草しながら楽しむのもいいですね。
今回紹介した3駅からの犬山城へのアクセス時間はどこから向かってもほぼ同様の時間です。古い町並みを楽しむか、名勝木曽川の景色を楽しむか、城下町の街歩きを楽しむかはあなた次第。
車で犬山城向かうよりも電車を利用して徒歩で犬山城へ向かうと犬山城と城下町を一度に楽しむことができますよ!
MAP
場所 | 愛知県犬山市犬山北古券65−2 |
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開館時間 | 9:00~17:00(入場は16:30まで) |
料金 | 個人(一般)550円 小中学生110円 |
公式サイト | 犬山城公式HP |