港区最西端の地『河合小橋』から名駅のビル群を眺める旅【市バスの車窓から②/幹神宮1-2】

観光

たまには、名古屋市営バスに乗って、普段行かない所へぶらり旅_
【市バスの車窓から】

今日は、東海通沿いを西へ、港区・当知地区と、名古屋最西端の地・河合小橋へ向かいます。

名古屋競馬場からさらに西へ

前回の
舟着場から競馬場まで_歴史ある水辺の街を巡る旅【市バスの車窓から①/幹神宮1-1】
の続き。

名古屋競馬場を過ぎるとバスは、荒子川を渡り当知地区に、庄内川/新川を渡り南陽地区に、戸田川を渡り福田地区にと、ひたすら幾つもの橋を超えて、最西端の地・河合小橋へと向かう。

なお初めに断っておくと、
当初「幹神宮1の旅」と謳っておきながら、このあたりから段々と1時間に1本しかない幹神宮1・河合小橋行きを待つのにしびれを切らしてしまい
同じ東海通沿いを走る東海12号系統、高畑16号系統にも乗車している。

これらの系統も含めると、特に「当知一丁目」停以西は日中わりとバスの往来が多い方の区間となっているのだ。

当知三丁目

「当知三丁目」停を下車し、西の方向に歩くと小さな用水路に当たる。
この用水路は何を隠そう、北区の庄内川/矢田川を発端に、西区/中村区/中川区を通って名古屋港の稲永付近で海に至る『庄内用水』だ。

江戸時代まで名古屋の地の発展を支えてきたのは農業。その農業を支えた庄内用水。
この当知の地も広大な穀倉地帯だったことを示している。
庄内用水は現在の名古屋市西部においては、暗渠(あんきょ)化している区間が多いため、ここまでむき出しになっているのは珍しい。

ところでこの先から何やら賑やかな祭り囃子が聞こえてくる…

鯉のぼりが掲げられ、けたたましい笛の音、太鼓の音、シャラシャラとなる鈴の音_
この日は丁度、祭りが行われているようだ。

この場所は『当知神明社』。
創建年月は不明だが、土地区画整理のため昭和53年にこの地に移転している。

当知地区は、江戸時代に西川甚兵衛という豪農によって干拓され、初めは甚兵衛新田と称されていたが、のちに当知新田という名になった。今もこの地の南に「甚兵衛通」という地名も残っている。
当知神明社は、干拓工事の無事を願って建てられたもので、伊勢神宮から勧請され、祀られているのは天照大御神である。

この神社の脇の少し目立たない場所に気になる碑が。
名古屋市当知土地区画整理組合 完工記念」と書かれている。

裏手に回るとこんなことが書かれている。

この地域は1696年三代尾張藩主綱誠の時代福田村の豪農西川甚兵衛により開拓された土地である
以来甚兵衛新田後に当知新田と称し親しまれてきたこの土地も先の大戦後の農地改革によりすべて開放された
新田開拓以来280有余年先祖代々農耕に励んできた土地も時代の要請により区画整理組合が設立され
街路の築造整理されるとともに美田は一変し急速に宅地化市街化が進み日一日と着実に発展しつつある現況を展望するとき
すぎ去った13余年の春秋を回顧しうたた隔世の感を禁じ得ない
ここに一切の事業を完工するにあたりこの事業を記念とし碑を立て後世にこれを伝えんとす

要約すると、
「農業するために開拓して280年米作ってきた場所が、13年で市街地になっちまって、あたしゃもうやんなっちまっただーよ。
この場所にこっそり愚痴書いといたで、誰か気づいてけろ」
という意味だ。

そりゃそうだ。
大昔の人は壮絶な苦労をして引水し、農地を作り上げ、農耕に励んできたにも関わらず、
機械の力であっという間に工業と宅地の街となった。。。まさしく浦島太郎状態であろう。

なんでもない住宅街に見えるこの当知という場所にも、時代の移り変わりを示すメッセージが残されているのだ。

ふたたびバス停の前に戻ると目の前にある塀に囲まれた寺のような建物
ここも面白いスポットだ。

この場所は西川甚兵衛の一族の菩提寺である『大音寺』。
実は寺の敷地の一部を利用してカフェとして営業しているのだ。

その名も『寺カフェ 一輪』。
月・火・木・金・第3/第4土曜、ランチの時間帯のみ営業している。
丁度腹も減ってきた頃合いなので入ってみることにする。

日替わりでおかずが変わるランチ。栄養バランスも考慮された健康的なメニューだ。華のような形のプレートが美しい。

実はランチよりケーキやタルトといったデザートが人気らしく、
自分以外の来店者はすべてプチ奥様会のような様相であった。
男子諸君は用心せよ。

河合小橋

バスはいよいよ終点・河合小橋へと向かう。
南陽地区・福田地区まではそれなりに宅地や商業店舗も立ち並んでいるが、福田川に架かる「新西福橋」を超えたあたりから一気に一帯は田園風景へと様変わりする。

名古屋市営バスの停留所の中でももっとも西に位置する河合小橋転回場
あまりの僻地度の高さにぎりぎり名古屋市内だからとおまけで作られたような停留所なのではないかと勘繰りそうになるが、
この場所を北に向かうとちょうど「近鉄蟹江」駅にも突き当たり、蟹江町南部民がここに自転車を駐めてバスを利用することも多いようだ。

転回場を西へと歩くと蟹江川にかかる「河合小橋」がある。
転回場は名古屋市内にあるが、橋自体は蟹江町に属している。

川沿いには何隻ものボートが並ぶ。

河口付近に川の水量を調整するための施設が。手前には釣り人。
名古屋を一歩出ただけで感じるこの隔世感。
昔の当知の人々が感じた浦島太郎状態ならぬ、逆浦島太郎状態ともいえよう。

しばらくこの隔世感を、ひたすらに心ゆくまで楽しみたい。

「特定猟具使用禁止区域(銃)」の看板。
りょ、猟をするやつがいるのか!!!

橋の架かる川辺という区域ならではの特殊な居住区構造。

誰がどう見ても廃墟だが、「麻雀」と書かれた看板だけはしっかりしている建物。
まさか営業しているのか?謎すぎる。

そして何気に注目すべきはこの信号機
よくよく見てみると相当に古い。

歩行者用信号で黄色のある縦並びというかなりレアな代物。
近くまで寄ってみるとびっくりするほど年季が入っている。

京三製作所」製ということは解読できるが、何年に製造されたかまでは読めない。
うーむ。

ちなみにこの信号もすごい。
交差点も停止線も無いのに意味不明すぎる場所にある信号機

実はこれはこの写真を撮影した場所よりさらに手間にある交差点用のものなのだ。
なぜこんな遠い場所に設置したのか。。。

なんにもない広い田園風景。
ふと名古屋方面を遠く眺めていると_

遠〜くに名古屋駅の高層ビル群を眺めることが出来るのだ

名古屋ではないようだがここは確実に名古屋である。
パラドキシカルかつ都会と田舎のギリギリの境界線というある意味カオスな空間を堪能できる河合小橋。
実に味わい深いスポットだ。